転職エージェントはぐきの、キャリア逆転ブログ

Fラン大から奇跡の大手WEB広告代理店に新卒入社。今はCreateA合同会社で転職エージェントやってます。日常のこと、就活のこと、キャリアを逆転するための方法などを書いていきます。

20代ビジネスマンが忘れがちな、「人と向き合う」大切さ。

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※画像はブログの内容と全く関係ないですが、可愛いので載せました。

 

ずーっとずーーーっと僕は、一つの考え方に洗脳されていた。自分で自分を洗脳していた。その洗脳から解放されたのが、ちょうど1年前。

自分にとってとても大切なことだと思うので、年末休暇を使って思っていることを書き留めておく。

 

 

社会人3年目でようやく気づいたこと。気づけたこと。

人生でたった一つ後悔していることがある。

 「反省はしても後悔はしない」が自分のモットーで、常にポジティブに生きてきた。自分の選択肢は間違ったと思ったことはないし、失敗があるから今があると思うようにしている。前向きな考え方ができるところは、自分の唯一の長所だと思っている。

それでも、「なぜあの時の自分は。。。」と、今でも後悔することが一つある。思い出すと恥ずかしくなることがある。なぜそんなことをしてしまったのかと、自分で自分がわからなくなることがある。

それは、「人と向き合う」ことを放棄し、自尊心を守るために必死に自分の小さな箱に閉じこもっていた社会人1~2年目のあの頃。

 

「仕事ができる」ことが人としての価値だと信じていた。

「あの人優しいけど仕事できないよね。笑」

「同期の〇〇って仕事できないらしいね。w」

「あいつはマジ仕事できるから尊敬してるんだよね。」

「〇〇さんって仕事できてかっこいいよね。」

きっと、意識高い系の会社で働く誰もが、こんな言葉を一度は口にしたことがあると思う。特に、ITベンチャーなどでは日常的に繰り広げられている会話だと思う。このブログを読んで下さる数少ない読者の中にも「あっ、俺のことだ」と思った人がいるのではないだろうか。

 

新卒でIT業界に入社した僕も、例外なくこのような会話を日常的にしていた。同期とランチに行ってはこんな会話をして、飲みに行ってはこんな会話をしていた。

 別に意識をしていた訳ではないが、自然と仕事ができると思った人と距離が縮まっていき、仕事ができないと思った人とは距離を縮めようとはしなかった。

 いつしか「仕事ができる」ことが、人としての価値だと信じ込んでいた。そして自分も「仕事ができる」枠に入ろうと必死だった。

 

自尊心を守り、他者を非難することでいっぱいいっぱいだった。

会社なのだから当たり前といえば当たり前なのだが、「仕事ができ、お金を稼ぐ」ことが一番評価される。だから自然と、仕事ができる人は人間性も肯定されるようになる。(これが資本主義の嫌なところだなぁ。。。)人間は承認欲求の強い生き物。僕も必死で「仕事ができる」枠に入ろうとした。

ありがたいことに、周りの方の助けがあり1年目で部内MVPを二度頂いた。2年目には赤字炎上クライアントをいくつも黒字化した。今振り返ると、色んなタイミングが重なっただけだと思う。だけど、「仕事できる」枠に入りたかった僕は、必死で自分を肯定した。自尊心を守ることでいっぱいいっぱいだった。

多分この頃からだろう、いつしか「仕事ができる、できない」で人を語るようになっていた。今でも後悔している。

 

交友関係を広げて初めて気づいた、「人と向き合う」大切さ。

入社から2年経たないうちに、僕は会社を辞めた。自尊心が強くなりすぎて、「もっと仕事ができるようになりたい」「もっとこんなことをしたい」と思うようになっていた。

激務な会社で働いていたため、会社を辞めたらたくさん時間ができた。IT業界にいた時は、激務すぎてプライベートの時間も仕事仲間だけになっていたが、久しぶりに地元の友人や大学の友人とも遊ぶ時間が増えた。

 今でも覚えている。久しぶりに地元の友人・大学の友人と過ごす時間がめちゃくちゃ楽しかったことを。

みんながみんなその人自身を受け入れている。「仕事ができるかできないか」という一つの価値に縛られず、その人自身の魅力を感じ、受け入れ、必要としている。

思い返せば、社会人になるまでの22年間、この感覚は当たり前のことだった。

「あの人優しいけど仕事できないよね。笑」なんて会話をしていた自分がとても恥ずかしくなった。なんて狭い世界の中で生きていたのだろうと。 

「〇〇って優しいよな」

「〇〇がいると場が盛り上がるよな」

「〇〇って本当面白いよな」

その人自身の良さを見つけ、受け入れ、必要とする。そこには、「〇〇って面白いけど仕事できないよな」なんていう「けど」は入らない。人と人とがきちんと向き合い、個性を受け入れ、個性を求め合っている。

この状態こそが人にとっての幸せそのものなのではないかと思った。「お金」や「仕事の成果」だけで承認欲求を満たさなくても良い。承認欲求は他のことでも満たすことができる。なんで今まで一つのものに縛られていたのだろう。この瞬間、自分の視野が一気に広がった気がした。

その人にはその人にしかない魅力がある。まずはその個性を見つけてあげ、受け入れてあげ、認めてあげる。その行為自体を人間はお互いにしていかなければならない。

 

ビジネスマンはもっと「人と向き合う」ことに重点を置くべき。

もし人間が幸せを求める生き物なのだとしたら、仕事ができること、お金を稼ぐことだけでなく、「人と向き合う」こと、そして受け入れ、必要としてあげることも同時に意識しなければならない。あらゆる側面で承認欲求を満たしてあげるべき。当たり前のことのはずなのに、なぜ偏ってしまうのか。。。

 何も僕は、幸せのために「人と向き合え」と言っている訳ではない。

いや、結論はそうなのだけれども。それだけでなく、きっと仕事」のみにおいても、「人と向き合う」ことがしっかりできている組織の方が、成果を出せると信じている。

 

<ここからは持論>

 大したマネジメント経験のない僕が語ると一気に説得力が落ちてしまう。ここからは完全に持論になってしまう。この持論はこれから自分で証明していかなければならないことだ。

とはいいつつ、なぜ「人と向き合う」組織は成果が出るのかを、一応・・・。

例えば、成果を上げた人のみを評価する組織があるとする。「成果」というものは比較論。全員が目標達成をしていたら、特定の人が褒められることはない。誰かと比較して、「〇〇は仕事ができる」と認識され、褒められる。

そうなると、承認欲求を満たすことができるのは、成果を上げた数%の人だけになってしまう。もちろん、働くモチベーションが上がるのもその数%の人だけ。その数%が仕事に一生懸命向き合う。

一方、一人一人がきちんと向き合う組織があるとする。「成果」だけではなく、その人の仕事の向き合い方、考え方、取り組み方、オリジナリティあるものを受け入れ褒めてあげる。すると、成果を上げていない社員も自分を認めてもらえた嬉しさから、働くモチベーションが上がる。結果、全員が仕事に一生懸命向き合う。

全体の成果で見たら、どちらの組織が成果を上げるかは一目瞭然だ。なのに、なぜ会社は成果だけで評価するのか。部下のマネジメントが成果の管理だけになるのか。

 

僕はこれからも、「人と向き合う」ことが大切だと社会に言い続けたい。

なんだか良い例が思いつかず不完全燃焼ではあるが・・・。

 僕にはまだ大したマネジメント経験はない。組織を大きくした経験もない。だけど、「人と向き合う」ことが、人と人とが関わり合う世界の中では、どんな状況においても大切だと信じている。理屈で証明したいが、今は経験もないし良い言葉も見つからない。

今はまだ、感情論でしかない。ただ、人の幸せにおいても、企業の継続的発展においても、大切なことだと信じている。(何度も言うが。笑)

多分この考えは、僕のずっと抱いていたコンプレックスからきている。劣等生で、先生にきちんと向き合えてもらえなかった過去からきていると思う。「良い子」であることだけが価値だったあの頃が許せなかった。きちんと向き合ってほしかった。

この考えは今も変わらない。「成果を上げる」ことだけで人を判断してほしくない。その人をきちんと見てほしい。認めて、褒めてほしい。それが人の幸せだと思う。結果的に、仕事の成果にも繋がると思う。

 

そして何より、人を理解しようとし、受け入れ、認めてあげることを続けることが、自分の小さな箱をどんどんこじ開け、自分の価値観をどんどん広げ、人間的にも自分を成長させてくれると信じている。

 

つじつま合わないこと言ったり、ただの持論だけになっているのが悔しいが。笑 言いたいことの10%も書けていない気がする。。。いつしかしっかり言語化できるようになりたいなぁ。